2022年10月22日(土)・23日(日)に開催された阪南ノスタルジー(尾崎町)と井戸端会議α(アルファ)の様子です。
当日は、尾崎公民館まつりも開催され、多くの人でにぎわいました。
第1回 阪南ノスタルジー 尾崎町
尾崎の昔の写真の展示はもちろん、その当時の町の地図も同時に展示しました。
皆さんのお話を伺うと、モノクロの写真が今にも動きだしそうな印象を受けました。
阪南市の水野市長を始め、市議会議員の方も多く来場していただき、多くの方がその当時の阪南市の話を、まるで昨日の出来事のように話をされていらっしゃったのが印象的でした。
来場された方の中には、「おばあちゃんから聞いて見に来ました」という若い世代の方もご来場いただきました。
どの写真も盛り上がっていましたが、泉南清掃の写真をご覧になった皆様が、「ミゼット!大村崑がCMしていたのよ~!」とお話しされているのも印象深かったです。
(調べてみると、ダイハツのミゼットはその当時、テレビコマーシャルを活用した広告をしていたようで、その内容も含めてベストセラーの車になったようです)
阪南ノスタルジーにて展示されていた、昭和30年代の阪南市の地図(中澤洋氏作成)と写真は夢プラザ廊下に展示しておりますので、お近くにお越しの際はぜひご覧ください!
第1回 井戸端会議α(アルファ)
尾崎の昔の街並みの写真を眺めて、この当時の思い出の話をしていただきました。
この日は、阪南市内で活動されている、登録団体の回想法「スイートピー」さんにも参加していただき、回想法の説明もしていただきました。
【今回の井戸端会議αで話題に上がった一部をご紹介します】
●尾崎小学校は、一度建物ごと別の場所に引っ越していたことがある。
●尾崎駅山側は田んぼだった。(養豚場や養鶏場もあった)
●尾崎駅山側は水害が起こった後に区画整理があり、以前と田畑の大きさが違うという問題が起きた。
●以前の南海町公民館は映画館「翠座」があった。(駅下の町名「緑町」が由来)
●現在のauのある場所に尾崎センター(現在のスーパーのような場所)ができて、各地域に無料のバスを走らせていた。
●現在の万代の場所には、以前は南海デパートがあり、現在の和泉鳥取駅の近くにある泉よしなどの様々なお店が入っていた。
●えびのの浜に演芸座があった。
●現在の市役所前のコンビニは少し小さいオークワがあった。(昭和49年3月にオープン)
●海側にあった警察署や銀行が山側に移り、経済の拠点が山側に移っていった。
●高架になる前の尾崎駅は、駅改札道路に踏切がなかった。
●中学校は鳥取中学校しかなく、電車に乗って尾崎駅まで行き通学していた。
お話を伺うと、昭和から平成でも大きな町の変化があったことが分かりました。
今回は、
・阪南市の生涯学習推進室から写真の提供
・市民の方から写真データの提供・資料の貸出
・市民の方が作成した阪南市の昭和30年代の頃の地図の提供
・阪南市立図書館から資料の貸出
以上の4点から展示を行いました。ご協力いただきました皆様、ありがとうございます!